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寄神建設の60年
創業までの軌跡 ~1948(昭和23年)
島上町の事務所で寄神海事工業所を創業
1920(大正9)年2月9日、淡路島北東部の津名郡東浦町仮屋(現在の淡路市)で生まれた創業者・寄神美好は1934(昭和9)年、14歳で大工修業のため神戸へ渡りました。
美好は大工としての腕をメキメキと上げ、親方から将来を嘱望されるまで成長します。そんな折、跡継ぎのいない叔父・末吉から養子の申入れがあり、1938(昭和13)年、18歳で潜水夫としての道を選択します。
呉海軍軍事部の軍務で作業船の基本を修得
太平洋戦争が勃発した翌年の1942(昭和17)年1月、美好は広島の呉海軍軍事部に徴用されます。軍事部では港務部施設課に配属となり、戦艦大和のドッグを掘るなど軍港の整備・改修に携わります。必然的にさまざまな作業船に乗ることとなり、この時の体験が後の自社作業船づくりに大いに役立つこととなったのです。
経営者への道
広島の江田島で終戦を迎えた美好は直ちに神戸に戻り、潜水業を再開します。神戸港には爆撃を受けて沈没した船や、焼夷弾で焼かれた艀(はしけ)が累々と横たわっており、休む間もない多忙な毎日が待っていました。そんな矢先の1948(昭和23)年、養父・末吉が咽頭がんに侵され、11月には早くも他界してしまいます。そして、それが経営者としての道へ踏み出す第一歩となったのです。
| 西暦(時代・年号) | 寄神建設の歩み |
|---|
| 1920年 (大正9年) |
2月 |
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| 1938年 (昭和13年) |
3月 |
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| 1942年 (昭和17年) |
1月 |
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| 1948年 (昭和23年) |
9月 |
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| 11月 |
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| 12月 |
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寄神海事工業所誕生 1949~1956(昭和24年~31年)
寄神海事工業所の創業
戦後の神戸港では10隻ほどの潜り舟が出て、沈没した船や艀(はしけ)の積荷の引揚げに従事していました。潜水夫としての美好の仕事は効率的で無駄がなく業績は常にトップでしたが、美好は潜水業に限界を感じ始め、サルベージ業進出へと舵を切ることとなります。
1948(昭和23)年12月にサルベージ業の営業許可を得た美好は、翌年1月4日、寄神海事工業所を創業し、兵庫区島上町の民家の1階に事務所を置き、新たなスタートを切ることとなりました。
株式会社に改組し新たな事業展開を模索
美好は1950(昭和25)年、待望の40t吊起重機船とともにサルベージ船、曳船を建造しました。これを機に法人化に踏み切り、資本金50万円をもって株式会社寄神海事工業所を設立します。
1954(昭和29)年になると、神戸港では初の大型港湾土木プロジェクトとなる「東部海面埋立て第1工区」が着工し、将来への発展を目指した本格的な港湾整備の第1歩が踏み出されました。美好はこれに着目します。港湾土木プロジェクトに参画することにより、サルベージ業を主体としていた寄神海事工業所の将来の新しい方向性を見出そうと考えたのです。相次ぐ作業船の建造は、まさにその時代を先読みした布石であったのです。
| 西暦(時代・年号) | 寄神建設の歩み |
|---|
| 1949年 (昭和24年) |
1月 |
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| 1950年 (昭和25年) |
8月 |
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| 1954年 (昭和29年) |
3月 |
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| 6月 |
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| 1956年 (昭和31年) |
3月 |
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港湾土木事業に進出 1957~1960(昭和32年~35年)
建設業登録を受けて港湾土木業へ進出
1957(昭和32)年7月、建設業登録を受け、本格的に港湾土木事業に乗り出します。
その強力な武器となるのが、1956(昭和31)年に購入した100t吊「第5号起重機船」、1957(昭和32)年に建造した200t吊「第8号起重機船」をはじめとする作業船でした。従来から取り組んできた大型船の解体引揚作業がより効率的に行えるようになるばかりでなく、港湾工事にも大いに威力を発揮することになったのです。
神戸市の期待に応え次々と作業船を建造
1957(昭和32)年、進行中の神戸港の「東部海面埋立て第1工区」に続き、4月に着工した「西部海面埋立て第2工区」プロジェクトにも参画、これに対応するため積極的な作業船の建造に乗り出します。
1959(昭和34)年4月は、150t吊「第15号起重機船」を竣工したのを皮切りに、杭打船「辻号」、浚渫船「第1山陽」、グラブ式浚渫船「第5神海」を建造します。翌年には90t吊起重機船「関門号」、グラブ式浚渫船「第10号美千丸」・「第15号美千丸」、300t積土運船など、まさに建造ラッシュともいえる状況が続きました。
こうした積極策により神戸市が進める港湾土木事業に次々と参入し、この分野における寄神海事工業所の地位を高めていったのです。
| 西暦(時代・年号) | 寄神建設の歩み |
|---|
| 1957年 (昭和32年) |
7月 |
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| 1959年 (昭和34年) |
4月 |
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| 7月 |
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| 11月 |
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| 1960年 (昭和35)年 |
4月 |
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| 5月 |
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| 6月 |
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| 8月 |
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| 11月 |
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| 12月 |
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作業船の建造ラッシュと多様化 1961~1965(昭和36年~40年)
作業船の多様化で一貫請負体制を確立
この時代、作業船の大型化を進めるとともに、起重機船以外の浚渫船、杭打船、土運船という新たな船種を加えることで自社船による一貫請負体制を整備しています。
大容量の土運船とプッシャー(押船)のコンビは、埋立地への土砂輸送を大幅にスピードアップし、美好のアイデアから生まれた「浮かぶ生コン工場(コンクリートミキサー船)」は臨海部でのコンクリート打設工事に革命をもたらしました。また、テトラポッド据付装置を装備した起重機船は、消波ブロック据付けの工期を大幅に短縮し、さらに大型起重機船の活用により大ブロックを輸送・架設することで橋梁架設工事の工期短縮に大きな成果をあげました。
急速な成長を続け中堅企業への飛躍
作業船の大型化・多様化と新技術開発により一貫請負体制を確立した1960年代を境に飛躍的な成長を開始します。
1961(昭和36)年に前年比倍増の11億円を達成した売上高は、1965(昭和40)年には20億円を突破し、さらに翌年には30億円に迫る勢いでした。また、1961(昭和36)年に比べ5年後には従業員が倍増するなど中堅企業へと発展を遂げ、業界内での確固たる地位を築いていきます。
| 西暦(時代・年号) | 寄神建設の歩み |
|---|
| 1961年 (昭和36年) |
2月 |
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| 4月 |
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| 6月 |
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| 1962年 (昭和37年) |
4月 |
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| 6月 |
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| 8月 |
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| 9月 |
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| 11月 |
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| 1963年 (昭和38年) |
3月 |
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| 4月 |
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| 7月 |
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| 9月 |
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| 11月 |
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| 11月 |
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| 1964年 (昭和39年) |
3月 |
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| 4月 |
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| 8月 |
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| 1965年 (昭和40年) |
3月 |
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社名変更と企業体制整備 1966~1969(昭和41年~44年)
将来へのさらなる飛躍を期し社名を変更
1966(昭和41)年11月、創業時からの社名・株式会社寄神海事工業所を寄神建設株式会社に変更しました。当時、サルベージ業から港湾土木事業へと転換した同業者が、さらなる発展を期してこぞって社名変更した時期であり、寄神建設もまた将来に向けて一層の発展を目指す決意の表われでもありました。また、1968(昭和43)年春には、内航船舶貸渡業、1969(昭和44)に内航運送業および内航運送取扱業の許可を取得し、事業の幅を一段と拡大しました。
1968(昭和43)年8月には、社員数が増加し手狭になった磯之町の本社を兵庫区匠町に移転して経営体制を強化し、ポートアイランドなどの着工で活気づく神戸市の港湾土木事業に次々と参画していきます。
時代の要請に応えた体制の強化
1969(昭和44)年にはヘドロを浚渫することなく地盤改良することができるサンドドレーン船「建洋」を建造(改造)しました。当時は環境問題がクローズアップされていた時代でもあり、公害防止への配慮がなされたこの作業船は、軟弱地盤の埋立工事に大いに貢献することとなりました。
同年11月には日本初の2,000t吊起重機船「寄隆」を建造します。ケーソンの大型化や橋梁工事における橋桁の大ブロック架設が増える事を予測して、美好が設計したものです。取引先の反響は大きく、1年も経つと主力起重機船として多方面で活躍するようになりました。船体は3,000t吊りにまで耐えられる構造に設計されており、他社が追随すれば直ちに能力アップできるよう設計されていました。
| 西暦(時代・年号) | 寄神建設の歩み |
|---|
| 1966年 (昭和41年) |
4月 |
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| 5月 |
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| 9月 |
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| 11月 |
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| 1967年 (昭和42年) |
6月 |
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| 8月 |
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| 12月 |
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| 1968年 (昭和43年) |
3月 |
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| 4月 |
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| 6月 |
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| 7月 |
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| 8月 |
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| 9月 |
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| 10月 |
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| 1969年 (昭和44年) |
3月 |
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| 5月 |
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| 9月 |
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| 11月 |
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| 12月 |
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神戸から全国へ、そして海外へ 1970~1974(昭和45年~49年)
東南アジアから中近東へ拡大する海外事業
1971(昭和46)年に起きたドルショックによる影響は当然のことに港湾土木業界にも及び、働き場のない作業船が空しく港で待機する光景がみられるようになりました。そんな中、香港カイタック(啓徳)空港の滑走路延長のための埋立工事を受注します。浚渫船・土運船・曳船などからなる作業船団が海を渡り、初めて異国での作業を行うこととなりました。これをきっかけに海外事業は東南アジアから中近東にまで広がり、経営の大きな柱に育っていったのです。
輝きを増す寄神建設のアイデアと技術
1970(昭和45)年には沖合での杭打作業の精度を格段に高めた自己昇降式海洋台船「うきしま」を建造、1972(昭和47)年には2,000t吊起重機船「寄隆」を3,000t吊りに改造します。また、同時に浚渫することなく海底の軟弱地盤を改良する大口径サンドコンパクション船「第1不動」「第2不動」や大規模な埋立工事に威力を発揮するホイールローダー式揚土船「神揚」などを次々と竣工させました。
1971(昭和46)年には本社を匠町から現在地の七宮町(旧本社)に移転、1972(昭和47)年には売上高が100億円を突破しました。
また、1973(昭和48)年には淡路島北淡町(現淡路市)平林地区の開発事業の許可を受け、埋立用土砂の自社開発を目指す事になります。
| 西暦(時代・年号) | 寄神建設の歩み |
|---|
| 1970年 (昭和45年) |
1月 |
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| 2月 |
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| 6月 |
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| 10月 |
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| 12月 |
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| 1971年 (昭和46年) |
1月 |
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| 2月 |
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| 7月 |
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| 8月 |
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| 9月 |
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| 10月 |
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| 11月 |
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| 12月 |
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| 1972年 (昭和47年) |
3月 |
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| 4月 |
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| 5月 |
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| 6月 |
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| 7月 |
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| 8月 |
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| 10月 |
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| 10月 |
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| 12月 |
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| 1973年 (昭和48年) |
1月 |
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| 3月 |
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| 4月 |
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| 5月 |
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| 6月 |
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| 7月 |
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| 8月 |
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| 10月 |
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| 12月 |
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| 1974年 (昭和49年) |
2月 |
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| 5月 |
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| 6月 |
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| 7月 |
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| 9月 |
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陸上土木進出 1975~1978(昭和50年~53年)
光が見え始めた待望のビッグプロジェクト
1970年代後半、国内で目立って増えたのが港湾・道路の整備事業です。これらの工事では、大型起重機船による橋桁大ブロック架設が数多く採用され、3,000t吊起重機船「寄隆」を中心に全国各地で大いに活躍しました。また、本四架橋・瀬戸大橋の調査工事が進展し、明石海峡大橋の橋桁のための海底ボーリングや、モデル橋脚据付けによる試験工事がスタート、さらに凍結されていた関西国際空港プロジェクトもようやく本格的に動き出そうとするなどビックプロジェクトに光が見え始めた時期でした。
陸上土木工事への進出
昭和50年代にはいよいよ陸上土木工事への進出を開始します。1976(昭和51)年、明神町の汚水幹線工事を皮切りに、翌年には天神川の改修工事、その翌年には藤原台の造成工事というように、まずは神戸市の事業を中心に展開していきました。加えて兵庫県住宅供給公社から赤羽グリーンタウンの造成工事、玉津の造成工事、建設省からは円山川の改修工事を請け負うなど着実に成果をあげていきます。さらに砂防ダムや水路トンネルを手掛け、次第に事業の一方の柱に育っていきました。
| 西暦(時代・年号) | 寄神建設の歩み |
|---|
| 1975年 (昭和50年) |
7月 |
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| 11月 |
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| 1976年 (昭和51年) |
4月 |
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| 7月 |
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| 8月 |
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| 1977年 (昭和52年) |
4月 |
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| 11月 |
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| 1978年 (昭和53年) |
5月 |
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| 6月 |
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| 9月 |
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| 11月 |
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ビッグプロジェクトへの序章 1979~1982(昭和54年~57年)
相次ぐ大型プロジェクトに次々と参画
1981(昭和56)年、ポートアイランドの埋立てを完了した神戸市は、引き続いて六甲アイランドや新垂水下水処理場の埋立工事をスタートさせます。さらに2年後にはメリケン波止場を埋立ててレジャー公園にしようという「メリケンパーク埋立造成工事」も着工させていました。
寄神建設はこれらすべてのプロジェクトに参画し、一連の埋立工事には淡路島の平林地区から採出した山土を埋立用土砂として供給しました。
好況を背景に全国各地で活躍
寄神建設の作業船団は神戸にとどまらず、全国各地で活躍していました。瀬戸内海ではすでに因島大橋・大三島橋などの瀬戸大橋しまなみ海道(西瀬戸自動車道)の建設が始まっており、瀬戸大橋(児島~坂出ルート)の建設も着々と進んでいました。北陸では関西電力の原子力発電所の高浜3号機・4号機が、九州では白島の石油備蓄基地の建設が始まるなど、活躍の舞台はまさに全国に広がっていきました。
こうした大型工事への参入が相次ぐなか、3,000t吊起重機船「翔隆」をはじめ、依然として積極的な作業船の建造が進められます。なかでも、深層混合処理船「YORIGAMI-1号」・「神-デコム5号」は、各地の軟弱地盤改良に大きな威力を発揮しました。
| 西暦(時代・年号) | 寄神建設の歩み |
|---|
| 1979年 (昭和54年) |
4月 |
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| 5月 |
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| 6月 |
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| 8月 |
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| 12月 |
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| 1980年 (昭和55年) |
2月 |
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| 3月 |
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| 1981年 (昭和56年) |
6月 |
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| 9月 |
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| 10月 |
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| 12月 |
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| 1982年 (昭和57年) |
4月 |
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| 6月 |
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| 7月 |
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総合建設業への船出 1983~1987(昭和58年~62年)
新本社建設を機に建築事業に着手
この時代、社員数の増加により手狭になったことと、一部老朽化が目立つようになったことから、新社屋建設が決定します。これを建築事業進出の絶好のチャンスととらえた美好は、社内組織として建築部を新設し、自力で建築施工する決断をします。1983(昭和58年)3月、建築部のスタッフは見事に新本社を完工させ、建築事業は上々なスタートを切ることとなりました。
業界注視の巨大起重機船「海翔」誕生
港湾土木事業もいよいよビッグプロジェクトが本格化し始めます。瀬戸大橋の建設が着々と進む一方で、関西国際空港、明石海峡大橋、東京湾横断道路などの建設が具体化し、豊富な作業船団を擁する寄神建設の活躍の場が大きく拓けていったのです。
1987(昭和62)年7月、創業以来、常に時代を先取りし、建造数世界一を自負する200隻もの作業船を造り続けてきた寄神の技術と実績の集大成として、4,100t吊起重機船「海翔」を建造します。吊上荷重の大きさもさることながら、軽量化を目的に採用したトラス式ジブは業界を驚かせ、これまでの起重機船のイメージを変える事になりました。
| 西暦(時代・年号) | 寄神建設の歩み |
|---|
| 1983年 (昭和58年) |
3月 |
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| 4月 |
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| 6月 |
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| 10月 |
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| 1984年 (昭和59年) |
3月 |
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| 4月 |
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| 5月 |
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| 6月 |
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| 12月 |
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| 1985年 (昭和60年) |
5月 |
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| 6月 |
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| 10月 |
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| 12月 |
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| 1986年 (昭和61年) |
7月 |
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| 8月 |
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| 9月 |
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| 1987年 (昭和62年) |
4月 |
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| 6月 |
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| 7月 |
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| 12月 |
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ビッグプロジェクト最盛期 1988~1993(昭和63年~平成5年)
積極的な作業船建造
バブル経済の崩壊をよそに、寄神建設の売上高は500億円に迫る勢いにありました。そんな1990(平成2)年8月5日、国際会議場とポートピアホテルで、40周年記念式典及びパーティーを盛大に
開催しました。
同じ時期、相次ぐビッグプロジェクトに備え、作業船の新造も積極的に進めていきます。3,000t吊
起重機船「新寄隆」、25,000t甲板積台船「神-25000」および35,000t甲板積台船「神-35000」、バックホウ式揚土船「寄揚」、全旋回式1,600t吊起重機船兼杭打船「神翔-1600」などで、それらの新造船は竣工と同時に各地で稼働を開始しました。
東西で着々と建設が進むビッグプロジェクト
この時期、関西国際空港の第1期工事が最終段階を迎え、明石海峡大橋架設工事も最盛期に入っていました。また、東京湾横断道路建設工事も着々と進行。これらの海域では寄神建設の作業船団が昼夜を問わず作業に取り組んでいました。
1993(平成5)年には3つの大きな出来事がありました。1つ目は女性オペレーターのデビューです。それまで男の職場とされてきた起重機船に新人女性オペレーターが搭乗、大きな話題となりました。2つ目は9月に技術研究所を開設し、作業船の自社開発や新工法・新技術の開発を組織的に行う体制が整います。3つ目は11月に作業船の建造や技術開発に大きな実績を残してきた美好が、その功績を認められて藍綬褒章を受章したことです。
| 西暦(時代・年号) | 寄神建設の歩み |
|---|
| 1988年 (昭和63年) |
1月 |
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| 6月 |
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| 8月 |
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| 9月 |
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| 11月 |
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| 12月 |
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| 1989年 (平成元年) |
3月 |
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| 4月 |
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| 6月 |
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| 7月 |
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| 9月 |
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| 1990年 (平成2年) |
1月 |
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| 3月 |
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| 8月 |
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| 1991年 (平成3年) |
6月 |
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| 7月 |
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| 8月 |
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| 11月 |
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| 1992年 (平成4年) |
2月 |
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| 4月 |
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| 6月 |
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| 1993年 (平成5年) |
3月 |
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| 8月 |
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| 9月 |
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| 11月 |
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新社長誕生 1994~1998(平成6年~10年)
先行き多難な時代に船出した新生・寄神建設
この時代は社長のバトンタッチで幕を開けました。創業以来初の世代交代であり、自ら理想を胸に茂之社長による新生・寄神建設がスタートします。
世界に衝撃を与えた阪神淡路大震災が発生したのはその翌年のことです。自社の再建と神戸の復旧に追われる一方、各地で進行するいくつものビッグプロジェクトに対応するため、作業船団と社員は寝る間も惜しんで働き続けました。
各地でビッグプロジェクトが続々と完成
1994(平成6)年9月、7年の歳月をかけた「関西国際空港」が開港します。
厳しい海象条件に阻まれながらも、川崎・木更津両工区で進めてきた「東京湾横断道路」は最盛期を迎え、1997(平成9)年12月、10年の歳月を経て遂に開通しました。
瀬戸内海では、1988(昭和63)年4月の「瀬戸大橋」を皮切りに、1998(平成10)年4月に「明石海峡大橋」が、1999(平成11年)5月には「瀬戸内しまなみ海道」が開通、これにより3つのルートすべての工事が完了しました。
これらに続き、寄神建設が誇る作業船団は「関西国際空港第2期」、「神戸空港」、「中部空港」などへの取組みを開始します。
| 西暦(時代・年号) | 寄神建設の歩み |
|---|
| 1994年 (平成6年) |
3月 |
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| 4月 |
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| 6月 |
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| 8月 |
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| 1995年 (平成7年) |
1月 |
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| 4月 |
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| 5月 |
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6月 |
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| 7月 |
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12月 |
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| 1996年 (平成8年) |
4月 |
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| 5月 |
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| 8月 |
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| 1997年 (平成9年) |
4月 |
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| 5月 |
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| 6月 |
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| 1998年 (平成10年) |
3月 |
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| 4月 |
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新世紀へ、さらなる品質向上をめざして 1999~2003(平成11年~15年)
神戸・関西・中部3空港の建設が同時進行
1999(平成11)年に神戸空港と関西国際空港2期工事が、2001(平成13)年には中部国際空港が着工します。寄神建設の作業船団は、それぞれの現場で中核となって24時間体制で活動。2005(平成17)年から2007(平成19)年にかけて相次いで竣工しました。
一方、海外でも2001(平成13)年の上海における海底トンネル建設を皮切りに、台湾・韓国など東南アジアを舞台に次々とプロジェクトに参入していきます。
プロジェクトチームによる将来像の提言
この時期、今後の厳しい建設業界を見通し、生残りをかけてどのような手を打つべきか、社長の諮問を受け、選抜メンバーによる研究会(21世紀ビジョン研究会)が発足し、2000(平成12)年に事業展開における長期ビジョンの提言が行われました。議論を重ねた結果、3年間の経営目標を設定する中期経営計画(プロジェクトY)を策定することを決定します。単に数字を追いかけるだけでなく、組織体制のあり方から設備機器に至るすべてを包合した、抜本的な経営改革に乗り出したのです。
そんな最中の2003(平成15)年7月20日、創業者・寄神美好が83歳の生涯を閉じました。
| 西暦(時代・年号) | 寄神建設の歩み |
|---|
| 1999年 (平成11年) |
4月 |
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| 5月 |
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| 9月 |
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| 10月 |
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| 2000年 (平成12年) |
4月 |
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| 5月 |
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| 8月 |
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| 10月 |
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| 2001年 (平成13年) |
4月 |
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| 2002年 (平成14年) |
3月 |
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| 2003年 (平成15年) |
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次世代技術への挑戦 2004~2009(平成16年~21年)
「プロジェクトY」が始動
公共投資の継続的削減など、建設業界の経営環境激変を受け、2003年末から中期経営計画の策定に入っていましたが、≪YSC革新宣言≫としてまとめられた計画は2004年4月から実行に移されました。この活動は「プロジェクトY」と名づけられ、技術に優れた海上土木事業者としての存在価値を示し、激しい競争に勝ち抜いて生き残りを図るために年度毎の事業計画に止まらず、全部署の課題を明確にし、計画的に経営計画を行う初めての試みでありました。
2005(平成17)年に中部国際空港が、翌年には神戸空港が開港する一方、羽田沖ではD滑走路の建設工事が始まりました。2007(平成19)年3月、寄神建設は羽田工事事務所を開設し、桟橋や誘導路などの基礎工事および杭打工事に着手しました。
| 西暦(時代・年号) | 寄神建設の歩み |
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| 2004年 (平成16年) |
11月 |
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| 2005年 (平成17年) |
6月 |
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| 2006年 (平成18年) |
6月 |
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| 2007年 (平成19年) |
3月 |
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| 4月 |
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| 2008年 (平成20年) |
4月 |
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| 10月 |
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| 2009年 (平成21年) |
1月 |
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